4月中旬、今シーズン最後のスキーを終えて帰宅する途中にあった専用線跡を探索してみた。大町駅から南方向に昭和電工大町事業所への専用線跡に行ってみた。

◆ 簡単スペック
 開通:不明
 廃止:1970年代前半
 
 
 初回訪問日:2011年04月18日
 初回掲載日:2011年05月03日
 最新更新日:2011年05月03日
 
 参考:Wikipedia
 
1、 1977年の航空写真です。今回取り上げ路線は、写真中心下部の専用線部分です。写真提供:「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」 2、 大町駅構内図です。クルマ止めの2線も専用線へ行っていたようです。専用線の本線はおそらく右から3番目の軌道だと思います。
3、 昭和電工方向をみた図。右から2番目のレールはAの3番目のモノです。 4、 数百メートル先でカーブし割堀状になっていったようです。先には家屋(アパート)ができており、廃線敷が消失しています。
5、 上から見た図 6、 別角度から!、先が左へカーブしています。
7、専用線の築堤跡。バラストも残っています。 8、橋跡!
9、工場方向 10、コンクリ橋跡。
11、築堤はここでアパートの駐車場化します。大糸線よりも高度が下がっている事がわかります。 12、信濃大町駅方向!
13、この道路に沿って左にカーブしていったようです。 14、13のアパートの裏には、コインランドリの駐車場化しています。割堀は完全に埋められてしまっています。看板の座枠には枕木が使用されています。
15、14の先、割堀を道路が渡っていた名残の欄干があります。 16、15の先、こちらも少々埋められています。
17、16の橋上から廃線跡をみる。左にカーブしています。 18、昭和電工の工場へ本来なら割堀があったのでしょう・・・
19、工場直前です。 20、専用通路が当時の位置だったのでしょう。
21、工場内のヤードです。 22、枕木が残っています。
23、小さな橋でもあったのでしょうか? 右奥には貨物ヤードがあったようです。 24、21の左にある開口部位に残るレール跡。
25、ここでも貨物の積出し降しを行っていたよです。 26、構内へ伸びるレール跡、レールが一部露出しています。

 



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