木曽森林鉄道 西野川(開田)線

Phase 1


■簡単スペック
着工  1933年 全線開通 1937年12月 (別説1935年) 廃止    1961年
区間  大島−柳又 16.8km 撮影    2000年 3月 〜 2006年 5月


参考資料:「思い出の木曽森林鉄道」(郷土出版)、王滝・三岳・開田各村誌・各村政要覧ほか


参考サイト:林用軌道跡解体新書


西野川線          10


 この西野川線は、よく開田線とも表記されているが一体どっちが正式なのだろうか?この路線は、王滝線の大島停車場から分岐(いきなり降下していく面白い軌道)し、果ては現開田高原のマイヤスキー場や末川とつづいている。西野川・王滝線は木材輸送のほかにも、住民の添乗・観光客乗車も認めていた為、地理的には木曽福島町(現木曽町)の商業圏となってもおかしくない三岳・開田・末川・西野の各村は、上松町とつながりを深くしていったようだ。ちなみに、1937年(昭和12年)ごろには運材列車は3往復/日あり、住民の添乗は運材台車や丸太の上にしがみついていたらしい。その為、事故も多かったらしく運材列車最後尾に幌車を付けそれにあてたそうだ。その後利用者が増加した事から運材列車とは別に2往復/日の人用列車を運行し、一部には観光客も載せたらしい。小中学校の旅行では事前申請があれば臨時列車運行の便宜も図ったとうエピソードもある。なかなかやるもんだ営林署も・・・

@ 簡単な地図を書いてみました。荻ノ島までの地図ですが、栩山(読めません)の停車場の位置がさっぱりわかりません。 A 起点となる大島の停車場を対岸から見たものです。写真にマウスをもっていってください。簡単な図示が・・・
B 大島停車場から出たところです。今考えると間近だったらしいのであとちょっと強行していれば大島停車場までいけたのに・・・残念! C 敷石もしっかり残っています。Bの写真の手前ですが、こんなに開けているのに・・・ちなみに、写真の奥側は高度を下げていってます。
D あまり確証はないのだけど、路盤の右側にある法面の上は王滝線跡。 E けっこうごっついのが・・・
F 路盤がずっと続いています。写真中央が大島方で手前側に下り勾配が付いています。 G 雰囲気のいいカーブ(手前下り勾配)が・・・!
H 順番間違えました。Eの写真の遠景です。 I Gの辺りで上をみると王滝線(旧線)の路盤跡が見えます。
J チェーン装着場(右から中央に掛けてのアスファルト地帯)の所に高度を下げてきた西野川線の路盤跡。 K 右側がJの写真の部分。昔はもっと道が狭くて踏切でもあったのでしょうか?ちなみに、左の黄色のスリップサインの標識の辺りに引込線があったと赤沢記念館の地図には記されていたが・・・詳細不明です。
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