名鉄三河線山線 Disused Railway Trail
 
自分の街にある廃線残影 第4回 名鉄三河線(山線)
 
■簡単スペック
全線開通 1928年(名鉄の三河線としては1941年 6月 1日)
廃   止 2004年 4月 1日
撮   影 2004年 3月、7月、2005年 9月、10月
総延長   猿投−西中金 8.6km
 
 
三河線(山線)    
 
 
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■三河線について
 
 自分の家が下の地図でいうと東海環状自動車道の「車」の字のあたりなので、三河広瀬や西中金方面に行くときはどうしてもクルマでの移動になってしまった。なので廃止になる前の2004年3月に1往復乗ったっきりである。もし仮に毎年紅葉で大渋滞になる足助の香嵐渓までの未成線部分ができていればもっと違った運命になったのだろう。ちなみに、昔は特急や急行も走っていたようだが、猿投から西中金間は各駅停車だったそうだ。
 
@ 地図です。廃線区間は三河線山線の猿投から西中金の区間です。 A 廃線10日前の猿投駅です。知立から猿投までは電化ですが、猿投から西中金まではLEカー(レールバス)でワンマン運転でした。この写真がそれ!すぐ後ろには電化車両が待機している。
B 猿投駅の廃線区間側から見た図。点検用や待機用の側線が多い。昔はもっと小さな駅だったイメージがあるのだが・・・こんなに広かったけ? C 写真を撮っていると廃止区間の踏み切りがいきなり鳴動。しかも電化車両がこっち(廃線区間側)に向かってくる・・・おいおい!!
D えっ?なんで廃止区間に向かって(右手方向)走ってくの〜?踏み切りも動いてるし・・・ E 踏み切りをできったところで停止しました。あり?回送って書いてある。Bの写真でみると左から2つ目の車庫から出てきた車両がホーム側に行くのに一度、廃止区間まで来てスイッチバックしないと入れないという事らしい。
F 回送電車の先はこんなかんじ・・・井上小学校の西側です。 G 三河御船駅手前の路線跡。
H 正面中央に見えるのが三河御船駅です。ここは島式ホームではなかったようです。 I 三河御船駅跡です。ここは島式ホームではなく片側のみだったようです。
J いずれかは自然に帰ってしまうのでしょうか? K 三河御船駅を出て矢作川方向へ延びる廃線跡。右側には電化時代の架線柱跡(樹木)があります。
L 自然回帰とでもいうのでしょうか? M キロポストも残っています。
N Iの地点から矢作川方向をみた写真。かなり廃線チックです。 P この県道は信号が少ないので結構飛ばせる道。しかしここにあった踏み切りでフラストレーションが溜まったのを思い出しました。
 
 
三河線(山線)    
 
 
 
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